江戸時代の名古屋城下「広井三蔵」

広井三蔵(白黒の尾張名所図会をイメージ着色)

広井三蔵(白黒の尾張名所図会をイメージ着色)

尾張名所図会 広井三蔵原本

尾張名所図会 広井三蔵原本

動画

【動画】アニメ広井三蔵

福島正則は小田原の北条攻めに出陣し兵糧不足を経験した。その教訓から清州城内に三つの大きな食糧庫を建設した。清州越しで藩都が名古屋に移ると、納屋橋の南の堀川東岸に米蔵を建設し尾張藩の官倉とした。倉の数は以前より増したが、昔どおり三倉と呼ばれた。

現在の風景

現在の風景 写真左手の護岸沿いに広井三蔵はあった

江戸後期の名古屋城下

江戸後期の名古屋城下図を拡大

江戸後期の名古屋城下図を拡大

尾府全図の一部 尾張名所図会は、矢印の方向から描かれています。

地図


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現在の広井三蔵

  • 堀川と納屋橋

    堀川と納屋橋

  • 北から広井三蔵のあたりを見る

    北から広井三蔵のあたりを見る

動画

【動画】名古屋堀川歴史観光クルーズ

最終更新:2012年4月11日 16時25分

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