江戸時代の名古屋城下「総見寺(織田信長墓所)」

総見寺(織田信長墓所)(白黒の尾張名所図会をイメージ着色)

総見寺(織田信長墓所)(白黒の尾張名所図会をイメージ着色)

総見寺

尾張名所図会 総見寺原本

臨済宗妙心寺派の寺院。織田信長は本能寺の変で亡くなった。信長の次男信雄は、父の霊を弔うため伊勢国大島村にあった安国寺を清洲に移し総見寺と改名して再興した。「清州越し」により慶長15年(1610)名古屋に移転された。門前町とは総見寺門前を意味する。境内には信長公、信雄公の廟がある。

現在の風景 総見寺

現在の風景 総見寺

江戸後期の名古屋城下

江戸後期の名古屋城下図を拡大

江戸後期の名古屋城下図を拡大

尾府全図の一部  尾張名所図会は、矢印の方向から描かれています。

地図


より大きな地図で アーカイブス江戸時代 を表示

  • 総見寺

    総見寺

  • 総見寺

    総見寺

最終更新:2012年4月11日 15時41分

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...