江戸時代の名古屋城下「七ッ寺」

七ッ寺(白黒の尾張名所図会をイメージ着色)

七ッ寺(白黒の尾張名所図会をイメージ着色)

尾張名所図会 七ッ寺原本

尾張名所図会 七ッ寺原本

天平七年(735)尾張国中島郡に行基によって創建されたと伝えられる。戦火や天災で荒廃したが、天正十九年(1591),清洲城下に再建された。その後、清洲越しによって現在地に移転された。境内には、二代藩主徳川光友により寄進された三重の塔が建っていた。重要文化財の観音、勢至の脇二尊座像や『一切経』参千余巻を所蔵。

現在の風景

現在の風景

江戸後期の名古屋城下

江戸後期の名古屋城下図を拡大

江戸後期の名古屋城下図を拡大

尾府全図の一部 尾張名所図会は、矢印の方向から描かれています。

地図


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  • 戦災で焼失前の七ッ寺

    戦災で焼失前の七ッ寺

  • 戦災で焼失前の七ッ寺

    戦災で焼失前の七ッ寺

最終更新:2012年4月11日 17時39分

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