江戸時代の名古屋城下「西本願寺別院」

西本願寺別院(白黒の尾張名所図会をイメージ着色)

西本願寺別院(白黒の尾張名所図会をイメージ着色)

尾張名所図会 西本願寺原本

尾張名所図会 西本願寺原本

浄土真宗本願寺派の寺院。東別院に対して西別院の名で呼ばれる事が多い。慶長14年(1609年)の「清須越し」で名古屋に移る。文化14年(1817)葛飾北斎が境内で、120畳敷きの達磨の大画を描き注目を集めたことが有名。明治6年(1873年)、医学講習所が置かれた。

現在の風景 手前の本町通越しに西別院の本堂が見える

現在の風景 手前の本町通越しに西別院の本堂が見える

江戸後期の名古屋城下

江戸後期の名古屋城下図を拡大

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尾府全図の一部 尾張名所図会は、矢印の方向から描かれています。

地図


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西別院の変遷

  • 戦災で焼失前の西別院

    戦災で焼失前の西別院

  • 現在の西別院本堂

    現在の西別院本堂

  • 葛飾北斎の大達磨についての説明

    葛飾北斎の大達磨についての説明

  • 医学講習所の説明

    医学講習所の説明

最終更新:2012年4月11日 18時02分

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