無量寿寺カキツバタ園
池鯉鮒(知立)宿
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動画
【動画】東海道 池鯉鮒(知立)宿
安城市の東海道
安城市に入り尾崎東の交差点を右に入り約1.5km行くと尾崎一理塚の碑に隣接して熊野神社の参道へ着く。熊野神社の西側を鎌倉街道が 通り東海道を鎌倉街道が横切って南に進んでいた。 熊野神社から約1.2km東海道を進み、県道76号線を超えた左右に明治用水記念碑と明治川神社がある。 都築弥厚が荒地であった安城が原に矢作川から導水しする計画をたて、岡本兵松・伊豫田与八郎らにより明治用水は完成した。 明治川神社には、明治用水建設に功績のあった、都築弥厚・岡本兵松・伊豫田与八郎らが祭神として祀られている 東海道に残された松林を見て知立市へと進む。
無量寿寺と鎌倉街道
明治川神社から約3km来た所、右手にある道標は、在原業平ゆかりの八橋無量寿寺への道しるべとして建てられ「従是四丁半北 八橋業平作観音有」と記されている。 ここで東海道を右に曲り約700m行くと無量寿寺の参道に通じる。 無量寿寺の創建は奈良時代で19世紀はじめ頃に再建された。毎年4月末~5月初旬にカキツバタの咲き誇る庭園は有名で、在原業平ゆかりの地をしのばせている。
無量寿寺の南を東西に鎌倉街道が通る。鎌倉街道を北西に進み浄教寺を右手に見て300mほど歩くと在原寺が左手、鎌倉街道沿いに見える。 寛平年間(889年~897年)に在原業平の菩提を弔うための業平塚が築かれた折、その塚を守る人の御堂として創建されたと伝えられている。 さらに進むと左手に安藤広重に描かれたといわれる「根あがりの松」が威容を誇る。その先約150m,名鉄三河線を超えた右手にあるのが 業平塚と業平供養塔。鎌倉末期に業平を偲んで建てられたといわれている。
知立(池鯉鮒)宿へ
鎌倉街道の散策を終え、再び東海道へと戻る。 さきほどの道標から約150m行くと来迎寺一里塚。塚の上の樹木は、東海道の塚ではよく見られる榎ではなく松が植えらています。両塚とも完全に遺されており貴重な遺産となっている。 来迎寺一里塚から1kmあまり東海道を進み、衣浦豊田道路を過ぎたあたりから道の両側に松並木が続く。1kmほどあった並木も現在では 450mほど。並木の途中左手には馬市の跡の碑が見える。馬市では400~500頭ほどの馬が売られていたと伝えられ広重の浮世絵にも描かれている。 明治になってからは馬市が慈眼寺付近に移された。境内にはその痕跡を残す馬市の跡の碑が建てられている。
松並木を過ぎ、国道1号線を超えると知立(池鯉鮒)宿に入る。 知立宿は本陣1軒、旅籠 35軒、家数 292軒、人口 1,620人の比較的小規模な宿場。 県道51号線の中町の交差点を超えたスーパーの駐車場に問屋場が本町には本陣があった。本町を進み突き当たりのT字路を右に曲がると 左手にあったのが知立古城、その先に了運寺の山門が見える。 さらに東海道を中町問屋場跡から本町へと約150m進み、 三叉路を右に曲がると、左手に知立古城跡の碑が見えてきます。その先の三叉路の正面に了運寺があります。 県道155号線を超えると知立神社の参道が伸びる。知立神社は池鯉鮒大明神とも呼ばれ、三河では屈指の大社で5月~6月にかけて境内に花菖蒲が咲き誇る。 総持寺を左手に見て250m進むと逢妻橋。逢妻川を超え東海道は再び国道1号線へと合流し、鳴海宿へと向う。
最終更新:2012年1月22日 09時41分





























