江戸時代の名古屋城下「亀尾天王社(那古野神社)」

亀尾天王社(モノクロの尾張名所図会をデジタルでイメージ着色))

亀尾天王社(モノクロの尾張名所図会をデジタルでイメージ着色)

尾張名所図会原本 亀尾天王社

尾張名所図会原本 亀尾天王社

創建は延喜11年(911)といわれ、創建時より若宮八幡社と隣接していた。名古屋城築城の際には移転の予定であったがご神託によりとどまり若宮神社のみ現在地に移転した。明治9年(1876)旧藩校明倫堂跡地に移転、那古野神社と改称した。

現在の風景 写真中央の水資源機構 中部支社あたりに亀尾天王社があった。

現在の風景 写真中央の水資源機構 中部支社あたりに亀尾天王社があった。

現在の風景 那古野神社本殿

現在の風景 那古野神社本殿

江戸後期の名古屋城下

江戸後期の名古屋城下図を拡大

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尾府全図 尾張名所図会は、矢印の方向から描かれています。

地図


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動画

【動画】那古野神社例大祭

この記事は、那古野(なごや)神社 宮地俊彦 宮司にインタビュー取材したものを要約して掲載しています。

那古野神社の由来と天王まつり

若宮八幡社と那古野神社(天王社)が並んでお祀りされていました。名古屋城を築城するために若宮八幡社は現在地に移転されました。
天王社は、神仏にはかって良いということであれば移転する予定でしたが、天王社は移してはならぬとの御神託がありましたので、 天王社を残したまま名古屋城は築城されました。名古屋城の守り神としても信仰され、城下町の守り神としてもお祀りをされました。
当時(江戸時代)の名古屋の大きなお宮さんといえば、亀尾天王社、若宮八幡社、そして東照宮。それぞれの神社の例祭は 名古屋の三大祭といわれていました。昔は、旧暦の六月十五、十六日に行われていましたが、現在は七月の十五、十六日に行われます。

最終更新:2012年4月11日 15時57分

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