中山道

  • 2011年12月7日

    中山道 今須宿

    寝物語の由来近江と美濃の国境は、この碑の東10mあまりにある細い溝であった。 この溝を挟んで両国の番所や旅籠があり、壁越しに「寝ながら他国の人と話し合えた」 ので寝物語の名が生まれたといわれている。 寝物語「は中山道の古跡と...

  • 2011年12月7日

    中山道 関ヶ原宿

    慶長五年(1600年)9月15日未明に、家康配下三万余の軍勢は、ここ桃配山周辺に陣取った。 家康はこの山頂において、大馬印を高々と揚げ指揮にあたった。最後の陣地に移るまで、 各陣営からの報告をもとに、しきりと作戦会議が開けれた...

  • 2011年12月7日

    中山道 垂井宿

    西の見付は垂井宿の西の入口で、大名行列などを迎えた。また非常時などには閉鎖された。安藤広重は この見付付近から西を見て、雨の降る中山道松並木の中を、大名が行列をつくり、西より垂井宿の西の 見付へ入ってくる様子や本陣からの出迎え...

  • 2011年12月7日

    中山道 赤坂宿

    川を交通の手段としていた1900年初期、川港の赤坂港には500艘を超える船が往来したといわれる。この地域は、 古くから石灰や大理石産業が盛んで産業の町としてにぎわいを見せていた。赤坂港会館では、当時の様子などが紹介している。

  • 2011年12月7日

    中山道 美江寺宿

    文久元年(1861)皇女和宮は14代将軍徳川家茂へ嫁ぐために京の都から江戸へ向かう途中、呂久の渡しの舟中で色鮮やかに 紅葉した楓を眺め「落ち行く身と知りながら もみじ葉の人なつかしく こがれこそすれ」と公武合体の犠牲になった ...

  • 2011年12月7日

    中山道 河渡宿

    江戸時代、江戸と京都を結ぶ重要な街道として中山道が整備され六十九の宿場が設けられた。 河渡宿は江戸から百六里二十七町、五十五番目の宿場。加納宿へ一里半、美江寺宿へは一里六町を隔て、 長良川の渡しを東に臨み、大名行列や旅人が往来...

  • 2011年12月7日

    中山道 加納宿

    加納宿は中山道53番目の宿場。 町並みは約2.3kmと細長く普通の宿の 3倍ほどの長さがあった。 途中、一宮を通って 美濃路と結ぶ岐阜 道と交差している交通の要衝。 家数600~900軒、人口2000~3000人 、本陣1、脇本...

  • 2011年12月7日

    中山道 鵜沼宿

    芭蕉は三度鵜沼宿を訪れ、脇本陣の坂井邸に宿泊して、その都度句を詠んだ。1度目の訪問で詠んだ「ふく汁も 喰へは喰せよ  きくの酒」は刻んで句碑となり現在は、坂井邸から犬山の薬師寺に奉納されている。2度目と3度目の来訪で詠んだ句は、...

  • 2011年12月7日

    中山道 太田宿

    「旧太田脇本陣林家住宅」は、江戸時代に中山道51番目の宿場である太田宿の脇本陣として機能した。 創建年代は、主屋のうだつの鬼瓦に銘が記されていることから、明和6年(1769)と判明している。 林家は江戸中期、脇本陣を勤めるかた...

  • 2011年12月7日

    中山道 伏見宿

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